寝起きにブラックなつぶやきを…します。
結構ストレートに言います。
なので見たくない方はスルーでお願いします。
↓
差別しないことはいいことなはずなのに無差別って聞くと途端にいい言葉には聞こえなくなるのは何故なんでしょうね…。
こと評価においては差別(贔屓という意味ではなく差をつけるという意味で)しないことはあまり良いことのようには感じられません…。
○○でありさえすればいい、○○なら無条件で好き、っていうのは評価される側としてはあまり嬉しくないですよね。
それってつまり私がどんなに頑張って作ったものでも、適当に作ったものでも関係ない、中身はどうでもいいってことです。
昔何日もかけて作ったハルアベ(自己評価としては出来はよくない)をハルアベでさえあればいいって言われたのが凄くショックでした。
褒めようフォローしようとして言ってくれたことなのかも知れませんが、それなら言われない方がマシでした…。(その人には悪いですが…。)
本当に評価してくれた人だけが褒めてくれたらそれが一番嬉しいです。
下手くそだけどだんだんうまくなってきたよ、とかの方がちゃんと中身を見て評価してくれてるんだなって思えて嬉しいです。
作品を見るってそういうことだと思います。
可もなく不可もなく、っていう評価ならそれでいいと思いますし下手くそって思ったらそれもまた一つの評価としてあって当然です。
そういう評価があるから次はもっと頑張ろうって思えるんだし、手抜きも頑張ったのも全部100点だったらやる気無くしますよね。
全部手抜きにしますよそんなん…。
例えば、今日の落書きの荒木は可愛かったですって言われたら。
昨日の荒木は好きじゃなかったけどっていう意味がこもっていたとしても「今日描いた荒木」を評価してもらえたので何ら問題ありません。
嬉しいです。
ちゃんと見て下さってるんだなって思います。
毎日同じなんてありえないんで。
同時に○○でありさえすればいい、っていうのは誰が作っても同じ、っていうのと同義です。
私が描いた荒木が好き、って言われたらそれは私が褒められたことになりますけど、荒木でありさえすればいい、って言われたらそれは荒木が褒められてるだけですよね。
むしろお前の絵には興味ないよ私が好きなのは荒木だけ、って言われてるようなものです。
荒木じゃなかったらお前の作品なんて見ねぇよって言われてるようなものなんです。
事実でもショックです…。
い、言われない方が良かった…。
○○さんが描いた荒木が好き、△△さんの描いた荒木も好き、荒木ならぜーんぶ好きっていう差のない評価はそれと一緒です。
○○さんの描いた荒木はかっこいいから好き、△△さんの描いた荒木は可愛くて好き、□□さんは荒木もいいけど駆の方が上手いし可愛いなぁ…っていう評価の方が嬉しいんじゃないでしょうか。
少なくとも私はこの方が嬉しいです。
ちゃんとその人の作品を見ていないと出てこない評価ですよね。
例えば、満天星さんの描いたセブンが好きですって言われたら。
私は下手くそだと思ってますけど、それでも「私の描いた」ものが好きだと言ってくれてるのが嬉しいです。
別に荒木を褒められたからとかセブンを褒められたからとかそこに差はないです。
荒木が褒められたら無条件で嬉しいってわけでもないってことですね…。
描いたキャラは誰であれ「私の作品」が褒められていることが嬉しいんですよ。
でもセブンを描いた人全員に○○さんの描いたセブンが好きです、△△さんの描いたセブンが好きですって言ってたら意味ないですよね。
それってただセブンが好きなだけじゃん!私はどうでもいいんじゃん!ってなりません?
何がいいの?どこがいいの?セブンだからいいんでしょ?私である必要はないんでしょ?って思ったら悲しいですよね…。
だって誰でもいいなら私じゃなくていいじゃないですか。
私だって趣味で作ってるんですから自分の好きなものだけ作って満足していたいです。
それで評価されたら万々歳です。
何より嬉しいです。
きっとみんなそうなんじゃないかと思います。
だけどエリアはそれだけじゃダメなんですよね…。
マイナージャンルなだけに他者からの供給が極端に少ない…。
自分で頑張ってみたけどそれでもやっぱり足りない…って状況も結構あって…。
そういうの見てると応援したくなります…。
そういうの見てるから何か作ろうかなって気になります。
だってお前頑張ってんだもん!(阿部。)
頑張ってる人を応援したくなるのは真理…。
同じ漫画が好きになった者同士ですからね…。
自給自足で満足出来てるならそれでいいですが、そうじゃないなら助けてあげたくなりますよね…。
話は戻りますが。
そんなわけで私は本当に良いと思ったところしか褒めませんし、ちゃんと見て好きって思ったらそれを伝えます。
多少の謙遜(限りなくない)はあってもそこにお世辞はありません。
好きじゃないものを好きとは言いません。
厳しいかも知れませんが、だからこそ評価されたとき嬉しくなるんだと思います。
どうでもいいって言われるよりそっちの方がずっといいなって思うので私は多分ずっとこのスタンスでいきます。
差をつけるってそういう意味です。
私に○○さんの作る~が好きですって言われたらかなり大好きな時なので、(私に褒められても嬉しくないかも知れませんが)素直にそのままの意味で受けとっていい時ですよ!
○○さんの描く荒木が好きです、△△さんの描く荒木が好きですって全員に同じことを言ったことはないつもりです。
○○さんの描く荒木もいいですけどメインで扱ってる~はもっとツボでした、△△さんの荒木は~なところが凄く素敵です!っていうその人それぞれにある良さや、作品それぞれにある素敵な所を気に入ってコメントしています。
荒木だから高評価なわけじゃありません。
荒木よりもときめく作品だって沢山あります。
荒木だから貰ったら無条件で嬉しいってわけでもないですし、荒木じゃなくても貰って嬉しい作品が沢山あります。
あなたじゃなきゃダメなんです。
この作品じゃなきゃダメなんです。
あなたの作品だからこそ、この作品だからこそ好きなんです。
誰でもいいわけじゃないんです。
何でもいいわけじゃないんです。
その違いこそが評価されて嬉しい部分な気がします。
自分なりの工夫やオリジナリティを気に入ってもらえるって嬉しいですよね。
逆に全てに同じ評価を付けられたら、それって評価される側にとってはショックなことです。
あなたの他の作品なんてどうでもいい所詮大差ないんだからって言ってるようなものなので大分失礼なんじゃないかと思います。
例えば、このジャンル全く知らないけど絵が好きなので見てますーっていうのも私は結構嬉しいです。
そこからそのジャンルに興味持ってもらえたら更に嬉しいですし。
何より評価されてる部分が純粋に「自分の作品」であるってことのいい例ですよね。
キャラの好き嫌いとか関係なしに私個人を評価してくれてるのが嬉しいです。
長くなりましたが。
嬉しいことの反対のことをすると嬉しくないになるので注意しなきゃなって思ったわけです。
荒木中毒ですが荒木盲目にはなりたくないなって思いました…。
荒木は欲しいけどどんな荒木でもいいわけじゃない。
荒木は欲しいけど荒木の代わりに別の素敵なものがあるならそれでもいい。
伝わりにくかったかも知れませんが一生懸命言葉にしてみた…。
うまく言えないですがなんかそんなカンジのことを考えてます…。
何が嬉しくて何が嬉しくないかは人それぞれだと思いますが、少なくとも私の嬉しい、嬉しくないはこんなカンジなんで…。
私が嬉しくないことは人にはしないようにしたいなと思います。
おわり。
結構ストレートに言います。
なので見たくない方はスルーでお願いします。
↓
差別しないことはいいことなはずなのに無差別って聞くと途端にいい言葉には聞こえなくなるのは何故なんでしょうね…。
こと評価においては差別(贔屓という意味ではなく差をつけるという意味で)しないことはあまり良いことのようには感じられません…。
○○でありさえすればいい、○○なら無条件で好き、っていうのは評価される側としてはあまり嬉しくないですよね。
それってつまり私がどんなに頑張って作ったものでも、適当に作ったものでも関係ない、中身はどうでもいいってことです。
昔何日もかけて作ったハルアベ(自己評価としては出来はよくない)をハルアベでさえあればいいって言われたのが凄くショックでした。
褒めようフォローしようとして言ってくれたことなのかも知れませんが、それなら言われない方がマシでした…。(その人には悪いですが…。)
本当に評価してくれた人だけが褒めてくれたらそれが一番嬉しいです。
下手くそだけどだんだんうまくなってきたよ、とかの方がちゃんと中身を見て評価してくれてるんだなって思えて嬉しいです。
作品を見るってそういうことだと思います。
可もなく不可もなく、っていう評価ならそれでいいと思いますし下手くそって思ったらそれもまた一つの評価としてあって当然です。
そういう評価があるから次はもっと頑張ろうって思えるんだし、手抜きも頑張ったのも全部100点だったらやる気無くしますよね。
全部手抜きにしますよそんなん…。
例えば、今日の落書きの荒木は可愛かったですって言われたら。
昨日の荒木は好きじゃなかったけどっていう意味がこもっていたとしても「今日描いた荒木」を評価してもらえたので何ら問題ありません。
嬉しいです。
ちゃんと見て下さってるんだなって思います。
毎日同じなんてありえないんで。
同時に○○でありさえすればいい、っていうのは誰が作っても同じ、っていうのと同義です。
私が描いた荒木が好き、って言われたらそれは私が褒められたことになりますけど、荒木でありさえすればいい、って言われたらそれは荒木が褒められてるだけですよね。
むしろお前の絵には興味ないよ私が好きなのは荒木だけ、って言われてるようなものです。
荒木じゃなかったらお前の作品なんて見ねぇよって言われてるようなものなんです。
事実でもショックです…。
い、言われない方が良かった…。
○○さんが描いた荒木が好き、△△さんの描いた荒木も好き、荒木ならぜーんぶ好きっていう差のない評価はそれと一緒です。
○○さんの描いた荒木はかっこいいから好き、△△さんの描いた荒木は可愛くて好き、□□さんは荒木もいいけど駆の方が上手いし可愛いなぁ…っていう評価の方が嬉しいんじゃないでしょうか。
少なくとも私はこの方が嬉しいです。
ちゃんとその人の作品を見ていないと出てこない評価ですよね。
例えば、満天星さんの描いたセブンが好きですって言われたら。
私は下手くそだと思ってますけど、それでも「私の描いた」ものが好きだと言ってくれてるのが嬉しいです。
別に荒木を褒められたからとかセブンを褒められたからとかそこに差はないです。
荒木が褒められたら無条件で嬉しいってわけでもないってことですね…。
描いたキャラは誰であれ「私の作品」が褒められていることが嬉しいんですよ。
でもセブンを描いた人全員に○○さんの描いたセブンが好きです、△△さんの描いたセブンが好きですって言ってたら意味ないですよね。
それってただセブンが好きなだけじゃん!私はどうでもいいんじゃん!ってなりません?
何がいいの?どこがいいの?セブンだからいいんでしょ?私である必要はないんでしょ?って思ったら悲しいですよね…。
だって誰でもいいなら私じゃなくていいじゃないですか。
私だって趣味で作ってるんですから自分の好きなものだけ作って満足していたいです。
それで評価されたら万々歳です。
何より嬉しいです。
きっとみんなそうなんじゃないかと思います。
だけどエリアはそれだけじゃダメなんですよね…。
マイナージャンルなだけに他者からの供給が極端に少ない…。
自分で頑張ってみたけどそれでもやっぱり足りない…って状況も結構あって…。
そういうの見てると応援したくなります…。
そういうの見てるから何か作ろうかなって気になります。
だってお前頑張ってんだもん!(阿部。)
頑張ってる人を応援したくなるのは真理…。
同じ漫画が好きになった者同士ですからね…。
自給自足で満足出来てるならそれでいいですが、そうじゃないなら助けてあげたくなりますよね…。
話は戻りますが。
そんなわけで私は本当に良いと思ったところしか褒めませんし、ちゃんと見て好きって思ったらそれを伝えます。
多少の謙遜(限りなくない)はあってもそこにお世辞はありません。
好きじゃないものを好きとは言いません。
厳しいかも知れませんが、だからこそ評価されたとき嬉しくなるんだと思います。
どうでもいいって言われるよりそっちの方がずっといいなって思うので私は多分ずっとこのスタンスでいきます。
差をつけるってそういう意味です。
私に○○さんの作る~が好きですって言われたらかなり大好きな時なので、(私に褒められても嬉しくないかも知れませんが)素直にそのままの意味で受けとっていい時ですよ!
○○さんの描く荒木が好きです、△△さんの描く荒木が好きですって全員に同じことを言ったことはないつもりです。
○○さんの描く荒木もいいですけどメインで扱ってる~はもっとツボでした、△△さんの荒木は~なところが凄く素敵です!っていうその人それぞれにある良さや、作品それぞれにある素敵な所を気に入ってコメントしています。
荒木だから高評価なわけじゃありません。
荒木よりもときめく作品だって沢山あります。
荒木だから貰ったら無条件で嬉しいってわけでもないですし、荒木じゃなくても貰って嬉しい作品が沢山あります。
あなたじゃなきゃダメなんです。
この作品じゃなきゃダメなんです。
あなたの作品だからこそ、この作品だからこそ好きなんです。
誰でもいいわけじゃないんです。
何でもいいわけじゃないんです。
その違いこそが評価されて嬉しい部分な気がします。
自分なりの工夫やオリジナリティを気に入ってもらえるって嬉しいですよね。
逆に全てに同じ評価を付けられたら、それって評価される側にとってはショックなことです。
あなたの他の作品なんてどうでもいい所詮大差ないんだからって言ってるようなものなので大分失礼なんじゃないかと思います。
例えば、このジャンル全く知らないけど絵が好きなので見てますーっていうのも私は結構嬉しいです。
そこからそのジャンルに興味持ってもらえたら更に嬉しいですし。
何より評価されてる部分が純粋に「自分の作品」であるってことのいい例ですよね。
キャラの好き嫌いとか関係なしに私個人を評価してくれてるのが嬉しいです。
長くなりましたが。
嬉しいことの反対のことをすると嬉しくないになるので注意しなきゃなって思ったわけです。
荒木中毒ですが荒木盲目にはなりたくないなって思いました…。
荒木は欲しいけどどんな荒木でもいいわけじゃない。
荒木は欲しいけど荒木の代わりに別の素敵なものがあるならそれでもいい。
伝わりにくかったかも知れませんが一生懸命言葉にしてみた…。
うまく言えないですがなんかそんなカンジのことを考えてます…。
何が嬉しくて何が嬉しくないかは人それぞれだと思いますが、少なくとも私の嬉しい、嬉しくないはこんなカンジなんで…。
私が嬉しくないことは人にはしないようにしたいなと思います。
おわり。
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